第五話「梟の笑い」
→「安らかに眠ってください」
→「ご冥福をお祈りします」
シェンシェン…。
反発し合っているから、幽鬼を恐れない。
老温は阿絮をからかっている。
螳螂委身曲附 欲取蟬而不知黄雀在其傍也。」
蝉は高いところにとまって高い声で鳴きながら露を飲んでいて、蟷螂がその後ろにいるのを知らない。蟷螂は身をかがめて蝉を捕まえようとしているが、黄雀がその側にいるのを知らない。
『不顧後患』
私的印象度
・王道度・・・🌷🌷🌷
・純愛度・・・🌷🌷🌷
・必涙度・・・🌷🌷🌷
死神(トゥアピー)×医者(プラカーン)の物語。
この物語は、生と死の象徴同士が対峙するという対比だけではない。
設定はファンタジーだけど、だからこそ、その中で起こる事件や感情の「リアルさ」が引き立って、より心に現実感を伴って迫ってくる。
物語の中に、一目で感じるキラキラ感はないけれど、切なさの中にあるキラキラ感に心がひたひたと浸っていく。
KarnさんとNutさんは、大人の雰囲気、色気の中に、純朴で一途な瑞々しい思いを灯らせているのが感じられて、また後半は、耐える愛や無心に信じ、互いに与え合う愛の姿を見せてくれて、私の心は絞られっぱなしだった。
特に、Karnさんは格好良すぎる。
プラカーンへの溢れる思いを抑えた切なさを感じる表情にしぐさ、そして思いが溢れ出てしまったときの性急さの対比がたまらない。
Nutさんは、回を重ねるごとに愛らしく憂いを帯びたプラカーンを自然に演じていらして見入ってしまった。(リアルな30歳の男の姿だからなおさら)
「なぜ、人は生まれるのか」
プラカーン、あなたの答えは命題だ。
周りの登場人物がとにかくいい配置。無駄がない。そしてみんないい人。先輩最高。ウィーラヌットも最高。
毎話冒頭に入る過去の場面が、2人の感情と行動の意味を少し後に追体験して理解できるという良い効果を生み出していた。
二人が以前に共演した「Gray Rainbow」は鋭意視聴中・・・。頑張る。
プラカーンの子供時代を演じた子役の子は、どのドラマでも見かける売れっ子だ。
KarnさんのSNSの投稿等を見ると、トゥアピーとはかなり違う感じが見てとれて、驚いた。
私の好み
・知識も経験も積んできた大人が、それでも悩み、揺れ動き、苦悩する中で、新たな人生の指針や光、希望を見つけ出す。
・ツンデレ。
・時間を扱う。時間は余韻の最大ファクター。
「音楽と人」のインタビュー、とても胸が温かくなった。
KinKiのこれまでの歩みと、これからへの願いが、飾らない言葉で語られていた。
二人がそこに存在する限り、一生KinKi Kids。
さりげなく、自然で、気負わない。
KinKiらしい、二人らしいその言葉が、わたしにとっては最高の幸せになった。
最近のジャニーズの状態を念頭に言葉にしたのかな、という内容もあって、少し切なくもなった。光一さんも剛さんも、KinKiはジャニーズを愛しているね。
傾蓋…車を止め衣笠を傾けること
お互いに白髪頭になるまで付き合っても、打ち解け合うことができないなら、知り合ったばかりの人と同じであり、道行く途中で出会って話をしただけで、心から打ち解けられる人もあるのに、というたとえ。
杜甫『可歎』
「白衣蒼狗」世の移り変わりの早いことのたとえ
deeplで「箫却吹得不怎么样」を訳したら、すごい直接的な日訳になってびっくりした。
「自分の行いが清ければ、冠の紐を洗うように、皆、敬意をもって対応してくれる。自分の行いが濁っていれば、濁った水に足を突っ込むように、 世の中も自分をぞんざいに扱う。 うまく行かないのは、世の中が悪いのではなく、すべて自分で原因となる行為をしているのだ。」
春秋・戦国時代にかけて北漢に広まった民謡。元は楚の民謡か。
北漢…屈原の追放された場所に因む。
楚地方を謡った詩集「楚辞」に由来。「楚辞」の代表詩人が屈原。ちなみに、「孟子 離婁上」でも、孔子と子供とのやり取りを通して、この言葉が出てくる。
楚の政治家である屈原は、剛直で、清廉潔白で、優秀であるがゆえに、周りからの嫉妬もあり、楚の襄王に追放された。沼地で出会った漁父は、屈原にこの詩を語る。
「世の中の清濁にあわせて自分の身の処し方を変えればよい。水が濁っているなら冠の紐ではなく、足を洗えばいいのだ。」
屈原は国を思い、楚の行く末を憂い、最期には入水自殺をする。
「漁父辞」では滄浪の清濁を世の中の清濁と解釈。
孔子は、滄浪の清濁を個人の人間の清濁と解釈。
「三生石上旧精魂 赏月吟风不要论 惭愧故人远相访 此身虽异性常存」
「三生石の精魂よ、月を楽しみ、風を吟じたのはもう昔のことだ。昔の友が遠くから訪ねてきてくれるのは、慚愧に堪えない。この身は違っても、心は変わりません。」「魂は業をもって三世に転生し、人生は無常であり、月を眺め、風を歌うことも無力です。わざわざ遠くまで足を運んでいただいたことは恥ずかしいことです。身体は頻繁に着替える服のようなものですが、仏性は常にそこにあります。」
『袁郊 甘澤』
固い絆で結ばれた男性2人について書かれた故事の一節。
三生…前世今世来世
現世に幻滅し(父親が安史の乱で亡くなり、世の無常を悟ったため、役人にならない、結婚しない、肉を食べないことを誓う。)、寺で隠居生活を送る李源は、円澤禅師と友になる。
二人で四川に行く途中、円澤は、自分が転生に抵抗しており、もう抵抗はできず、ある妊婦の元に生まれ変わらなければならないと言う。そして、円澤禅師は息を引き取る前に、李源と13年後に天竺寺で会う約束をする。
13年後、李源が天竺寺へ行くと、牧童が「三生石上旧精魂 赏月吟风不要论」と歌っている。牧童は、円澤の生まれ変わりであった。牧童は、「約束を守ってくれた」と言うが、一緒にはいられないと言う。そして、「輪廻転生への道は難しい。修行を続け、浄土に生まれ変わりましょう。また会いましょう。」と言い、消えていった。
三世を巡る男性同士の深い友情を表す三生石が、のちには中国の古代神話で人間を作ったとされる女神・女媧の伝説として伝わる縁結びの石を指すようにもなる。結婚式でも使われる故事となる。