たまに記録

備忘録です。興味のわいたことについて調べた内容を記録していきます。

山河令 私的覚書⑤

第五話「梟の笑い」

 

◆安らかな旅路を祈るのみです◆
「一路走好」
→「安らかに眠ってください」
→「ご冥福をお祈りします」
シェンシェン…。

 

◆穆雲歌◆
「在天愿作比翼鸟 在地愿为连理枝」
「天では比翼の鳥 地では連理の枝

白居易長恨歌
玄宗皇帝と楊貴妃

 

◆童貞◆
幽鬼は陰、童貞は陽。
反発し合っているから、幽鬼を恐れない。
老温は阿絮をからかっている。

 

◆阿絮の袖を断つ老温◆
「断袖」
前漢哀帝と董賢
哀帝が昼寝から目覚めた時、帝の袖を下敷きにして、董賢はいまだ眠っていた。眠っている董賢を起こさないよう、帝は自らの袖を切らせて起きた。男色を表す。
漢書

 

◆誰が雀か◆
「蟬高居悲鳴飲露不知螳螂在其後也。
 螳螂委身曲附 欲取蟬而不知黄雀在其傍也。」
蝉は高いところにとまって高い声で鳴きながら露を飲んでいて、蟷螂がその後ろにいるのを知らない。蟷螂は身をかがめて蝉を捕まえようとしているが、黄雀がその側にいるのを知らない。
『不顧後患』

 

視聴記録・感想

好き過ぎて書けない!


今、怒濤のように視聴しているBLドラマについて、記録なり感想なりを書いておこうと思ったけれど、好き過ぎて窒息しそうな作品は書けないなと落ち着いた。

・山河令

・陳情令

・30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい  等々

 

ちぇりまほについては、以前なら勢いのままに書けたのだろうけど、今の心持ち的になかなか難しい。やはり、何かを書く、放出するというのは、自身の心を見つめる作業が必要で、曖昧さや冷静さを、ある意味、許容できなくなると、取りかかることさえできなくなる。作品や文章に誠実でいたいのだな。

 

今、書けるものから

 

順番に記していこう。

リュソンビの婚礼式(韓国/2021年)

期せずして涙

 

◆概要◆
[原題] 류선비의 혼례식 リュソンビの婚礼式 ('21)
[制作] Moving Pictures Company
     Emotion Studio
     コンテンツ専門制作流通ブランド「アイドルロマンス」第2弾
[出演] カン・インス・・・リュ・ホソン
     イ・セジン・・・チェ・ギワン
     チャン・ウィス・・・キム・テヒョン
 
ウェブドラマ版、映画版どちらも視聴。
映画版には、ドラマ版ではカットされているシーンも含まれており、ドラマ版では視聴中に感情の流れが飛んだような場面、説明不足の場面がいくつかあったが、それが映画版では解消されている。しかし、物語の起伏ごとに、いったん区切りながら視聴する、余韻を楽しむ「間」があるドラマ版の視聴も、よい。
以下の感想には、ドラマ版でカットされたシーンへの言及もあるかもしれない。

この作品を見て、まずイ・セジンくんに衝撃を受ける。
セジンくんの楚々とした美貌は驚嘆に値する。知的で可憐な容貌に、女性らしくはないが、荒々しくもない絶妙な立ち居振る舞い、役作りで絞ったという華奢な体躯。
テヒョンが物語の中で「神秘的」と言っていたが、まさに。
女装で皆をだますという設定だが、全く違和感がない。本当に可愛い。視聴を続けるうちに惹きつけられていき、まさしくホソンの気持ちの変化に視聴者も違和感なく乗せられてしまう。

ギワン演じるイ・セジンくんを愛でるだけでも一見の価値がある物語。
そして、カン・インスくんの誠実な雰囲気も、この物語の根底に流れる優しさの空気感を支えていた。
その二人の中に、武骨さと茶目っ気を投入したチャン・ウィスくんが、物語の中でよく‘’効いて‘’いた。
あり得ない設定かもしれないけれど、そんな中だからこそ、とびきりのロマンスは描けるのだな。

妹が見つかるまでの、仮初めの夫婦であった二人。
そんな二人は、様々な困難を乗り越えていくうちに、お互いへの愛をゆっくりと確かに育てていく。
その愛を育てたのは、紛れもなくお互いの人柄で。
ホソンの優しさと度量、懐の大きさ。
ギワンのたくましさと、健気さ、いじらしさ。
そして、何より、お互いがお互いへと示す思いやり。
けれど、やけどのシーンで、お互いへの気持ちの自覚が見えた次の瞬間には、妹が見つかり、事態は動き出す。

ホソンが
ギワンの妹にギワンのこれまでの苦労をぶつけ
ギワンの父であるチェ大監に「キワンさんこそが私の妻と言えます」と宣言し
ギワン自身に「そなたは私の許嫁ではなかったが、私の妻だった」と伝える。
そして、ギワンの一筋の涙。
この一連のシーンの流れに感情を持って行かれた。

失くしてしまった本のように、一度は「しかたがない」と二人の関係を諦めたホソンとギワンだったけれど・・・。

義母からいただき、ホソンが絵を描いた色むらのある衣。
天である夫、ホソンから、地である妻、ギワンに贈られた本。
二人が夫婦であった時間は短かったかもしれないけれど、その間に二人で作った思い出や関係は確かに存在していて、二つの贈り物が、その思い出を呼び起こす二人のよすがとなって、二人をもう一度結びつけてくれる。
そして、義母の「会いたい人が先に会いに行くもの」という言葉に後押しされて、ギワンがホソンの元へ駆けつけるシーンではカタルシスを感じる。
テヒョンも憎い、いい動きをしてくれ、日参横恋慕の手紙かと思いきや、ホソンの居場所が書かれているであろう手紙を渡してくれる。

短く、少ない話数で進んでいくから、大きな事件も起こらず、その事件も解決までには時間がかからないから、物語として大きなうねりはないのかもしれない。
けれど、二人の感情が変化する機会、感情が動く瞬間、感情を暗示する小物、そして多くの伏線が物語の中には示されていた。
ホソンとギワンの二人にとって、そして視聴者にとっても必要なエピソードは、十分に散りばめられていた。

二人にとっての「正しい道」がいつしか変化し、
最後の場面で、今の二人が思う「正しい道」へと進んでいく、その様を見せてもらった。万感の思いがこもった口づけ。
 
・手のやけどシーン以降は、切なさが溢れて涙が止まらない。
・時代劇にしたことで、韓国の伝統美の中で育まれる恋愛模様に美しさと奥ゆかしさを感じられる。
OSTはどれもいいけど、カン・インスくんが歌うOSTは情感が漂い、胸を打つ。
・ギワンは、千字文の本はわざと置いてきたのか。本の中を見て、自らの思いを伝えたかったか。何にしても、二人をつなぐ贈り物が、それぞれの手元にあるという設定は大事だっただろう。
・りんご=謝罪(韓国語の発音)を知らなくて、ホソンのリンゴの絵やギワンが持参したリンゴを見て「リンゴ→罪→キリスト教→韓国だからか・・・→時代は!?1700年代?」と思っていた。チョゴリの長さからして、1700年代・・・かな?
・制作費の少なさが見え隠れしていた(部屋の中、下人など)けれど、それを表だって気にさせない映像美だった。カメラワークや役者の演技がそれを感じさせなかった。
・脚本が練られている・・・。さすが韓国・・・。
 
短いながらも考え尽くされた純愛物語

 

私的印象度

・王道度・・・🌷🌷🌷
・純愛度・・・🌷🌷🌷
・必涙度・・・🌷🌷🌷

Dear Doctor-死神が愛した医者-(タイ/2022年)

なんか好きだ、この物語

 

◆概要◆
[原題] 
  Dear Doctor, I'm Coming for Soul ('22)
[制作] 
  Studio Wabi Sabi
[監督] 
  Phadej Onlahung パデート・オンラフーン
[プロデューサー]
  (New)Siwaj Sawatmaneekul 
  (ニュー)シワット・サワットマニークン
[脚本] 
  Kusolin Mekviphat クスリン・メークウィパート
  Phaengpan Homjan ペンパン・ホームチャン
[出演]
  (Nut) Nutchapon Rattanamongkol・・・Prakan
  (ナット)ナチャポン・ラッタナモンコン・・・プラカーン
  (Karn)Kasidej Hongladaromp・・・Tua Phee
  (カーン)カシデート・ホンラダーロム・・・トゥアピー
  (SoodYacht)Patsit Permpoonsavat・・メーター
  (スットヨート)パットシット・プームプーンサワット・・・Metha

 

死神(トゥアピー)×医者(プラカーン)の物語。
この物語は、生と死の象徴同士が対峙するという対比だけではない。
設定はファンタジーだけど、だからこそ、その中で起こる事件や感情の「リアルさ」が引き立って、より心に現実感を伴って迫ってくる。

物語の中に、一目で感じるキラキラ感はないけれど、切なさの中にあるキラキラ感に心がひたひたと浸っていく。

KarnさんとNutさんは、大人の雰囲気、色気の中に、純朴で一途な瑞々しい思いを灯らせているのが感じられて、また後半は、耐える愛や無心に信じ、互いに与え合う愛の姿を見せてくれて、私の心は絞られっぱなしだった。

特に、Karnさんは格好良すぎる。
プラカーンへの溢れる思いを抑えた切なさを感じる表情にしぐさ、そして思いが溢れ出てしまったときの性急さの対比がたまらない。
Nutさんは、回を重ねるごとに愛らしく憂いを帯びたプラカーンを自然に演じていらして見入ってしまった。(リアルな30歳の男の姿だからなおさら)

 

「なぜ、人は生まれるのか」
プラカーン、あなたの答えは命題だ。

 

周りの登場人物がとにかくいい配置。無駄がない。そしてみんないい人。先輩最高。ウィーラヌットも最高。

毎話冒頭に入る過去の場面が、2人の感情と行動の意味を少し後に追体験して理解できるという良い効果を生み出していた。

二人が以前に共演した「Gray Rainbow」は鋭意視聴中・・・。頑張る。

プラカーンの子供時代を演じた子役の子は、どのドラマでも見かける売れっ子だ。

KarnさんのSNSの投稿等を見ると、トゥアピーとはかなり違う感じが見てとれて、驚いた。

 

リアルとファンタジーの融合が見せた切なさ

 

私的印象度

 

・大人可愛い度・・・🌷🌷🌷
ツンデレ度・・・🌷🌷🌷
・必涙度・・・🌷🌷🌷

 

私の好み

・知識も経験も積んできた大人が、それでも悩み、揺れ動き、苦悩する中で、新たな人生の指針や光、希望を見つけ出す。

ツンデレ

・時間を扱う。時間は余韻の最大ファクター。

 

KinKi Kidsと音楽と人

周年イヤーの振り返り

音楽と人」のインタビュー、とても胸が温かくなった。

KinKiのこれまでの歩みと、これからへの願いが、飾らない言葉で語られていた。

二人がそこに存在する限り、一生KinKi Kids

さりげなく、自然で、気負わない。

KinKiらしい、二人らしいその言葉が、わたしにとっては最高の幸せになった。

 

最近のジャニーズの状態を念頭に言葉にしたのかな、という内容もあって、少し切なくもなった。光一さんも剛さんも、KinKiはジャニーズを愛しているね。

 

山河令 私的覚書④

第4話「紅塵の因果」

 

◆時間ではないのだ◆
「有白頭如新 傾蓋如故」
「白頭新のごとく 傾蓋故のごとし」
史記

傾蓋…車を止め衣笠を傾けること
お互いに白髪頭になるまで付き合っても、打ち解け合うことができないなら、知り合ったばかりの人と同じであり、道行く途中で出会って話をしただけで、心から打ち解けられる人もあるのに、というたとえ。

このシーン、いちいち老温の言い方がいやらしい(^o^)

 

◆丐幇来襲◆
温客行が跛脚乞丐を頭上から振り落とすシーンにて、落とし方が悪く、NG。
跛脚乞丐役の方、少しクラクラ、痛み。
ジュンジュン焦る。撮影に危険はつきもの。

 

◆白衣剣が見たい◆
天上浮云如白衣 斯须改变如苍狗
古往今来共一时 人生万事无不有

杜甫『可歎』
「白衣蒼狗」世の移り変わりの早いことのたとえ

 

◆横笛が縦笛に変更(設定もセリフも改変)◆
「阿絮你武工怎么高 五音却不全 有空我再教教你?」
→「阿絮你人长得帅 箫却吹得不怎么样 有空我再教教你?」
「お前は腕が立つのに」→「お前は顔が良いのに」
「音感がなさすぎる。」→「縦笛はそれほどではないな」

deeplで「箫却吹得不怎么样」を訳したら、すごい直接的な日訳になってびっくりした。

山河令 私的覚書③

第3話「貪欲」

 

◆顔に触れた手◆
顔の匂いを嗅いでいるの?

 

◆「ただ者ではない」にセリフ改変◆
「你这身骨相如此清俊,必是美人」(美人でしょう)
「你这身骨相如此清俊,必非凡品」(ただ者ではない)

 

◆アドリブの応酬◆
「美吗?」「完美」
象徴的なシーンの創造がここに!
(ただし、これまでの「美人」のセリフが吹き替えで改変されているから、応酬へのつながりが薄くなってもったいない。)

 

◆間もなく夜明けだ。◆
「山河令」という物語の幕開けだ。

 

◆いくつか意味がある◆
「滄浪の水 清まば吾が纓を濯うべし
滄浪の水 濁らば 吾が足を濯うべし」
「沧浪之水清兮 可以濯我缨 沧浪之水浊兮 可以濯我足」 
屈原『楚辞 漁父辞』

「自分の行いが清ければ、冠の紐を洗うように、皆、敬意をもって対応してくれる。自分の行いが濁っていれば、濁った水に足を突っ込むように、 世の中も自分をぞんざいに扱う。 うまく行かないのは、世の中が悪いのではなく、すべて自分で原因となる行為をしているのだ。」

春秋・戦国時代にかけて北漢に広まった民謡。元は楚の民謡か。
北漢屈原の追放された場所に因む。
楚地方を謡った詩集「楚辞」に由来。「楚辞」の代表詩人が屈原。ちなみに、「孟子 離婁上」でも、孔子と子供とのやり取りを通して、この言葉が出てくる。

楚の政治家である屈原は、剛直で、清廉潔白で、優秀であるがゆえに、周りからの嫉妬もあり、楚の襄王に追放された。沼地で出会った漁父は、屈原にこの詩を語る。
「世の中の清濁にあわせて自分の身の処し方を変えればよい。水が濁っているなら冠の紐ではなく、足を洗えばいいのだ。」
屈原は国を思い、楚の行く末を憂い、最期には入水自殺をする。

「漁父辞」では滄浪の清濁を世の中の清濁と解釈。
孔子は、滄浪の清濁を個人の人間の清濁と解釈。

 

◆三生石上旧精魂◆
「莫非是三生石上旧精魂」
「霊魂同士が結び合った運命の相手やも」

「三生石上旧精魂 赏月吟风不要论 惭愧故人远相访 此身虽异性常存」
「三生石の精魂よ、月を楽しみ、風を吟じたのはもう昔のことだ。昔の友が遠くから訪ねてきてくれるのは、慚愧に堪えない。この身は違っても、心は変わりません。」「魂は業をもって三世に転生し、人生は無常であり、月を眺め、風を歌うことも無力です。わざわざ遠くまで足を運んでいただいたことは恥ずかしいことです。身体は頻繁に着替える服のようなものですが、仏性は常にそこにあります。」
『袁郊 甘澤』

固い絆で結ばれた男性2人について書かれた故事の一節。
三生…前世今世来世
現世に幻滅し(父親が安史の乱で亡くなり、世の無常を悟ったため、役人にならない、結婚しない、肉を食べないことを誓う。)、寺で隠居生活を送る李源は、円澤禅師と友になる。
二人で四川に行く途中、円澤は、自分が転生に抵抗しており、もう抵抗はできず、ある妊婦の元に生まれ変わらなければならないと言う。そして、円澤禅師は息を引き取る前に、李源と13年後に天竺寺で会う約束をする。
13年後、李源が天竺寺へ行くと、牧童が「三生石上旧精魂 赏月吟风不要论」と歌っている。牧童は、円澤の生まれ変わりであった。牧童は、「約束を守ってくれた」と言うが、一緒にはいられないと言う。そして、「輪廻転生への道は難しい。修行を続け、浄土に生まれ変わりましょう。また会いましょう。」と言い、消えていった。
三世を巡る男性同士の深い友情を表す三生石が、のちには中国の古代神話で人間を作ったとされる女神・女媧の伝説として伝わる縁結びの石を指すようにもなる。結婚式でも使われる故事となる。

 

◆交杯酒◆
婚礼の際に新郎新婦が互いの手を交差させながら酒を飲む儀式。夫婦の固めの杯。
春秋・戦国時代である、先秦時代に発祥した漢民族の婚礼の風習の一つ。
意味は「你中有我 我中有你」

 

◆稀有な美人(改変)◆
「我敢肯定 扒下你最外头这层皮囊 里面一定藏着一个好大好大的惊喜」
→「我敢肯定 扒下你最外头这层皮囊 里面一定是一副罕见的美人胚子」
「その仮面の下にはきっと期待以上のものが隠されているはず」
→「その仮面の下にはきっと稀有な美しさが秘められているのでしょう」