たまに記録

備忘録です。興味のわいたことについて調べた内容を記録していきます。

山河令 私的覚書③

第3話「貪欲」

 

◆顔に触れた手◆
顔の匂いを嗅いでいるの?

 

◆「ただ者ではない」にセリフ改変◆
「你这身骨相如此清俊,必是美人」(美人でしょう)
「你这身骨相如此清俊,必非凡品」(ただ者ではない)

 

◆アドリブの応酬◆
「美吗?」「完美」
象徴的なシーンの創造がここに!
(ただし、これまでの「美人」のセリフが吹き替えで改変されているから、応酬へのつながりが薄くなってもったいない。)

 

◆間もなく夜明けだ。◆
「山河令」という物語の幕開けだ。

 

◆いくつか意味がある◆
「滄浪の水 清まば吾が纓を濯うべし
滄浪の水 濁らば 吾が足を濯うべし」
「沧浪之水清兮 可以濯我缨 沧浪之水浊兮 可以濯我足」 
屈原『楚辞 漁父辞』

「自分の行いが清ければ、冠の紐を洗うように、皆、敬意をもって対応してくれる。自分の行いが濁っていれば、濁った水に足を突っ込むように、 世の中も自分をぞんざいに扱う。 うまく行かないのは、世の中が悪いのではなく、すべて自分で原因となる行為をしているのだ。」

春秋・戦国時代にかけて北漢に広まった民謡。元は楚の民謡か。
北漢屈原の追放された場所に因む。
楚地方を謡った詩集「楚辞」に由来。「楚辞」の代表詩人が屈原。ちなみに、「孟子 離婁上」でも、孔子と子供とのやり取りを通して、この言葉が出てくる。

楚の政治家である屈原は、剛直で、清廉潔白で、優秀であるがゆえに、周りからの嫉妬もあり、楚の襄王に追放された。沼地で出会った漁父は、屈原にこの詩を語る。
「世の中の清濁にあわせて自分の身の処し方を変えればよい。水が濁っているなら冠の紐ではなく、足を洗えばいいのだ。」
屈原は国を思い、楚の行く末を憂い、最期には入水自殺をする。

「漁父辞」では滄浪の清濁を世の中の清濁と解釈。
孔子は、滄浪の清濁を個人の人間の清濁と解釈。

 

◆三生石上旧精魂◆
「莫非是三生石上旧精魂」
「霊魂同士が結び合った運命の相手やも」

「三生石上旧精魂 赏月吟风不要论 惭愧故人远相访 此身虽异性常存」
「三生石の精魂よ、月を楽しみ、風を吟じたのはもう昔のことだ。昔の友が遠くから訪ねてきてくれるのは、慚愧に堪えない。この身は違っても、心は変わりません。」「魂は業をもって三世に転生し、人生は無常であり、月を眺め、風を歌うことも無力です。わざわざ遠くまで足を運んでいただいたことは恥ずかしいことです。身体は頻繁に着替える服のようなものですが、仏性は常にそこにあります。」
『袁郊 甘澤』

固い絆で結ばれた男性2人について書かれた故事の一節。
三生…前世今世来世
現世に幻滅し(父親が安史の乱で亡くなり、世の無常を悟ったため、役人にならない、結婚しない、肉を食べないことを誓う。)、寺で隠居生活を送る李源は、円澤禅師と友になる。
二人で四川に行く途中、円澤は、自分が転生に抵抗しており、もう抵抗はできず、ある妊婦の元に生まれ変わらなければならないと言う。そして、円澤禅師は息を引き取る前に、李源と13年後に天竺寺で会う約束をする。
13年後、李源が天竺寺へ行くと、牧童が「三生石上旧精魂 赏月吟风不要论」と歌っている。牧童は、円澤の生まれ変わりであった。牧童は、「約束を守ってくれた」と言うが、一緒にはいられないと言う。そして、「輪廻転生への道は難しい。修行を続け、浄土に生まれ変わりましょう。また会いましょう。」と言い、消えていった。
三世を巡る男性同士の深い友情を表す三生石が、のちには中国の古代神話で人間を作ったとされる女神・女媧の伝説として伝わる縁結びの石を指すようにもなる。結婚式でも使われる故事となる。

 

◆交杯酒◆
婚礼の際に新郎新婦が互いの手を交差させながら酒を飲む儀式。夫婦の固めの杯。
春秋・戦国時代である、先秦時代に発祥した漢民族の婚礼の風習の一つ。
意味は「你中有我 我中有你」

 

◆稀有な美人(改変)◆
「我敢肯定 扒下你最外头这层皮囊 里面一定藏着一个好大好大的惊喜」
→「我敢肯定 扒下你最外头这层皮囊 里面一定是一副罕见的美人胚子」
「その仮面の下にはきっと期待以上のものが隠されているはず」
→「その仮面の下にはきっと稀有な美しさが秘められているのでしょう」